「小指の思い出」2回目、3回目で分かったこと。
「小指の思い出」2回目と3回目を観て来ました。
2回目は、前半から意識が朦朧として、いちばん好きな場外馬券売り場のシーンを見逃した。
飴屋さんの腹筋あたりで、突然パーッと目が覚めて、最後はかなり集中して観た。
3回目は、最初から最後まで一度も意識飛ばずに、がっつり集中して観れたので、最後かなり感動しました。
やっとやっと、この難解なお芝居の見方が自分なりに分かってきたらしい。
「何がすごいのか」もちょっとだけ分かった気がする。
こうなると、終わってしまうのが寂しくて仕方ない〜。
2回目、3回目で、自分なりに咀嚼したこの舞台のことを少し書きます。
ネタバレしてますので、未見の方は要注意。
かなり個人的な、それこそ「皮膚」感覚の感想です。
まったくの見当違いだったらごめんなさい。
3回観て、自分の中でやっと腑に落ちたことは、このお芝居は壮大な音楽なんだってとこ。
映画やお芝居や本が好きなので、どうしても言葉の意味を追いかけて、なにかしらのストーリーを見いだそうとしてしまっていたけど、むしろ「音楽」として捉えた方がすっと納得がいく。
言葉の意味に捉われず、繰り返される印象的なセリフたち*1を、「あるひとつの壮大な音楽作品を構成する旋律」と捉えると(迷わず捉え切ると)、あら不思議、ものすごくまとまったひとつの音楽としてすんなり飲み込むことができたんだなあ…。
音楽の専門的なことには詳しくないけど、クラシック音楽の、交響曲とか組曲のようなものなのかな、と。
それも、かなり壮大な。
セリフはすべて旋律。
劇中に「音が見えて、色が聞こえる」ってセリフがありますが、「セリフをセリフとして聞く」んではなくて、普通の感覚では見えてしまう(意味が分かってしまう)「言葉(セリフ)」の意味をあえてそのまま消化せずに、自分の中の感覚を少しズラして「音として聞く」と、藤田さんのリフレインの手法が、いかに計算され尽くされたものか、そのすごさが初めて分かった気がしたんですね。
あっちからこっちから、同じセリフが繰り返される面白さとか。
セリフを音として割り切って聞くと、後から自然と意味がついてくる感覚。
そして、自分の中に蓄積された、難解で意味不明と思われたセリフたちが、最後の青柳さんのシーンの時にわわーーーっと沸き上がってきて、なんだかものすごく感動してしまったんですよね。
涼くんの涙のわけも、とてもよく分かったし。
その上で、やっぱり苦手な部分は苦手な部分として残っていて。
藤田さんの女優さんの趣味と、わたしの趣味が合わないってとこと、
ものすごく閉鎖的なお芝居であるってとこ。
誰か1人特別にこの人が、というよりは、トータルでの女優陣の持つ色が、俗物のわたしの趣味に合わないことは、前回のエントリーでも書きましたが、全体を音楽として捉えたときに、やはり音としても耳に合わない声があるんですよね…これはもう完全に好みの問題で、誰が悪いわけでもない、仕方のない話なんですが。
声が反響して、何を言っているのか分からない。
分からなくても(音楽だから)観劇にはそんなに支障はないのだけど、音楽鑑賞としてはちょっとキビシイものがあります。
また、個人的に閉所恐怖症の気がありますんで、開放的な空間を装いながら*2、実は、見えない箱の中でセリフが反響しあって、何度も何度も壁やお互いにぶつかり合って、舞台上からセリフが解放されることがないお芝居を観るのは、なかなかツラいもんがあります。
それでも、聞きたいセリフ、観たい動き、好きなシーンもたくさんあるし、俳優さんたちの
熱演は本当にどれも見応えがあって、圧倒されますし、
音楽を聞いている気持ちで見ているのに、物語のテーマ*3が次々と自分の中で整理されいく感覚は、非常に楽しくて刺激的です。
なので、残りあと2回となった観劇が、今は楽しみでもあるのです。
分からないものが、自分なりに分かるようになる経験ってこの年になると貴重ですので、大切にしたいと思います。
明日と明々後日また観ます。
明々後日は、芸劇の後グローブ座なので…台風があまりひどくないといいな…。
すでに台風のせいで、頭がガンガンしてます。
眠くなるから頭痛薬は飲みたくないし。