専業主婦脱出記(1) 仕事を見つけるまで
今年の9月で、専業主婦からパート主婦になって丸2年経ちました。
フルタイムで子育てしながらずっと働いている方なんかに比べると、「ちゃんちゃらおかしいわ」レベルの生活だと思いますが、それでも専業主婦だった頃とは段違いで忙しくなりました。
育児って言っても、娘はもう何もできない幼児ではないし、仕事だってパートタイムではあるんだけど、両立するのはやっぱり大変。。。うん、大変と言っていいと思う。
だけど、精神的にはとても安定してるのですよー。
忙しくて自分の時間も少なくなったし、仕事がある日はとにかくグッタリで、お酒も飲まずに21時台に寝てしまう、、とかしょっちゅうなんですけど、前のようなザラッとした精神的イライラを感じることはとても少なくなりました。
生活が激変して2年経った今、今後を見据えて、一度「脱・専業主婦」の道を振り返っておこうかなと思いまして、こんな記事を書いています。
うまく伝えられるか分かりませんけど、この文を読んで「働きたいけど、どうしよう」と不安に思ってる専業ママさんたちが、少しでも前向きな気持ちになってくれたらいいな、と思います。
長くなるので、連載形式で行きますね。
専業主婦をやめたくなったきっかけ。
直接のきっかけは、好きな舞台の観劇回数を増やしすぎて、物理的に「金がない!!!」という状態になったことなんですけどねww
その前からずーーーっとモヤモヤと「このまま一生専業主婦で終わるのかな…」という不安は抱えていました。
大学卒業してから、いくつかの会社に勤めて、社会人としての経験も積んではいたんですけど、妊娠発覚と同時に襲って来た重いつわり・・・毎日気持ち悪くて気持ち悪くて。
当時勤めてた会社が合わないな、と感じてたこともあり、まだ安定期に入っていないうちから海外出張の話が出たりで、すっかり萎えてしまい、えーい!と辞めてしまいました。
まあホント、通勤なんて出来る状態じゃなかったんですけどね。つわりがひどくて。
(病院で点滴してもらわないと倒れるレベル)
辞めたときは、とにかく「妊娠した」という事実にしか目が行かなくて、将来的に仕事に復帰するかどうか、とか、自分のキャリアプランがどーした、とか、そんなこと一切考えられませんでした。
そのまま出産を経て娘が幼稚園の頃くらいまでは、専業主婦であることにまったく疑問を持たずに過ごしていました。
子育て、結構大変でしたしね。
幼稚園も、関わろうと思えばどっぷり関われるので、「仕事をするなんてムリ」と思ってたわたしは、どっぷり関わる道を選びました。お教室もたくさん通いました。
娘を預けて働く、、、という考えもあまりなくて、出来るだけ自分で面倒みたい、どうせ親にも頼れないし、という状況でした(実母は仕事してたし、義母はドライに娘の面倒を見てくれるタイプじゃないし)
でも、どこかでなんとなーくモヤモヤし始めたのは、娘が小学校2年くらいの頃からかなあ。
娘が学校で過ごす時間が長くなればなるほど、自分の時間は増えるんですけど、ならば家事にさらに力を入れるってタイプでもなかったしw(ここぞとばかりに凝った料理作ったり、インテリアとか収納に目覚めたりとかもできなかった)
んで、昔やってた仕事を在宅ですこーし手伝ったりして、でも能力の衰えは否めなくて、結局余計にイライラしちゃって続かず。
それに、家で家事以外の仕事するって、主婦には難しい。
うちみたいな狭い家だと、仕事スペースを確保することすら出来ませんでした。
「あーやっぱりもうこのまま一生専業主婦かー。わたしってなんなんだろーなー」
と、軽く病んでましたね。
昼間の時間をどう使っていいか分からなくて、とりあえず寝転がってテレビ見る日々。
その頃には、俳優さんやアイドルのファン活動という趣味も出来てましたから、そっち方面で時間を使っていましたが、時間はたくさんあっても、お金には限界がある。
今思えば、自分の稼ぎが一銭もないくせに、よくもあんなにお芝居観たり映画見たり雑誌買ったり、してたよなあ、と思いますw
夫が演劇や映画に興味があって、一緒に見に行けるならまだしも、うちの場合、まったく興味がないので、余計に「人のお金で遊んでる」感は強くて、それに見合うだけの主婦力などもまったく持ち合わせていなかったので、居心地の悪さは募るばかり。
それでも、自分が自由に使えるお金がないのは現実なので、観劇は1回、CDは初回盤のみ、どんなに観たいお芝居があっても、メインで応援してる人以外は行けませんでした。
そのうちに「一生専業主婦なのかなー」っていうモヤモヤと、「自分のお金で好きなものを見に行きたい」って前向きな気持ちが、どんどん呼応し合うようになり、「やっぱり働きたい!」と、ここでまず一歩。
(劇団☆新感線さんの「髑髏城の七人」(ワカドクロ)を、予算大幅オーバーの複数回観劇してしまったのが最後のスイッチになりました)
応募を始める。
娘が小3になったあたりから、具体的に求人情報を見たり、仕事してるママ友からの情報収集を始めるようになりました。
それでも、動き出すまでにかなりの時間がかかってしまったんですけどね。
今思うと、フットワーク重っ!!w
もともと小心者で臆病な性格だってのもあるけど、その当時自分が持っている自由時間の中だけで働ける仕事が、どうやらなさそうだって感覚があったからです。
いや、正確にはあることはあるんですよ。
ただ当時のわたしは「自分が働いてた頃のスキルを活かしたい」とか「自分ならこのレベルの仕事が出来るんじゃないか」とか、過去の栄光から全然離れられてなかったんですねw
結婚前に仕事をしていたときは、それなりに評価もされていたし、「あのまま辞めないで続けてたら」みたいな幻想に捉われてたんだと思います。
現実には、辞めちゃってもう10年近く経つわけで、その間、娘の保護者としては多少は周りの役に立つこと(役員とか)をしてきてはいましたけど、お金が発生する「仕事」というものをほとんどしてなかったわけですから、そんな幻想にすがっても、実際のところ、社会的にはまったくの役立たずの状態だったわけです。
その時は、それに気付いてなかった。
井の中の蛙、だったんでしょうね。
とにもかくにも、履歴書ってやつを書いて送り始めたのですが、今思うと「おいおいw」と自分でも笑ってしまうような高値の花の求人ばかり。時給も高いとこばっかりでした。
一体何様だったんでしょうねww
自分が仕事辞めたときに、最後に持ってたスキルのレベルが、10年経ってもそのままだと思ってたんです。
10年間で、社会人としての自分の身の程がまったく分からなくなってしまってたわけです。
当然のことながら、結果はすべて「不採用」。
履歴書1枚書くのに2時間以上かかってました(気合い入り過ぎ)から、そりゃ毎回落ち込みました。
で、そのうち分かって来るんです。
「10年間何もしてこなかった自分」を思い知るようになりました。
そこに気付いてから、少しずつ、応募先の色を変えていきました。
今まで自分が積んできたキャリア(なんてものがあれば、ですけど)から探すのではなく、「自分が少しでも興味のあること」で、「自分が働ける時間帯と合う仕事」に絞るようにしました。
時給は度外視です。
社会と関わらずに10年も過ごしてきたんですから、お金はもらえるだけありがたい、でも、まったく興味のない仕事に就いても続かないだろうし、家族の生活時間を大幅に変えて働くことはできない。
そうやって少しずつ応募先を絞り、最終的に仕事が決まる2ヶ月くらい前には、会社を1つに絞りました(いろんな支店に応募する作戦)
興味のある仕事でも(劇場関係とか映画館とか)、時間帯が合わないところは早々に諦め、通勤に時間がかかりすぎるところも、近過ぎるところも選択肢から外しました。
とにかく応募し続ける。
夢を見過ぎず、それでも現実にすりより過ぎず、自分をある程度冷静に見つめられるようになると、「不採用」になっても、「10年のブランクを埋められる人と思ってもらえなかったから」「シフトが合わないから」って感じで、比較的ドライに受け止められるようになり、次の応募では、多少の達観みたいなものが生まれて、いい意味で応募慣れしていくようになりました。
・・・と、ここまで書いて、「一体何社受けたんですか?」って感じになってますが、ほとんどが書類で落とされてますからねw
履歴書だけはたくさん書きましたけど、面接まで行けたのは、今の職場と他1件の合計2件のみです。
当時39才でしたから、まあそんなもんなのかもしれません。
年齢の壁はやっぱりある。
まだ具体的に再就職を考えていなかった30代前半の時に、すでに仕事を見つけてたママ友から、「仕事選べるのは35才まで」って聞いていましたが、ホントにその通りだと思いました。
もちろん、50近くなって、15年ぶりに専業主婦からようやく仕事復帰しましたあ!って人は、今の職場にも実際いるんですけど、やはり慣れるまではかなりご苦労されてる方が多いです。
今、採用の方も少し見る立場になって思うのは、「年齢だけで落とすことはほとんどない」ということ。
やっぱりその人が「どれだけできるか」「やってくれそうか」なんですよね。
それまでに積み上げた自分なりのキャリアなりなんなりにこだわって、プライドが高いまんまの人は、難しいと思います。
「今まで」も、もちろん大切ですけど、「これから」何をしてくれるのか、が一番重要に決まってます。
そういう意味で、プライドが高いばかりで使えない人、というのはとても困るんですよね(履歴書送り始めた頃のわたしです)
なーんて、偉そうなことを失礼しましたw
わたしも、まだまだ2年目ですからね。
この先も会社にお金を払ってもらえる人材で居続けるために、自分には何が必要かを模索する日々です。日々勉強させてもらいながら、お金をもらえるなんてありがたい、と思っています。
最終的に「採用」の通知を頂けたのが、2年前の9月初頭。
決まったのは「書店員」でした。
希望の職種でしたので、本当に嬉しかったです。
でも、嬉しかったと同時に「本当に働かなきゃいけなくなった!」と焦りもかなり大きくて、具体的に時間をやりくりしたり、娘の預け先を確保したりするのに、頭をフル回転させることになります(当時、娘は小学4年生でした)
次回は「(2)仕事、始めてみたら大パニック!」です。
決まるまでも結構大変だったんですけど、実際に働き始めてみたら、就職活動なんてどうってことなかった!ってくらい、大変な日々が待っていました。
続く。